景色

2011年09月09日

DSC_0816_convert_20110909073848.jpg
高架道路から御堂筋を眺めた時にあまりにも緑と空が調和していたので、停止している時に写真を撮らせていただきました。高層ビルが並んでいるのも見慣れた景色なのですが、自然を見るようにすると見慣れぬ風景に見えるのも不思議な感覚です。
御堂筋を構想された方(名前を知らなくてすいません)は素晴らしい財産を私達に残してくれました。イチョウの木は887本植えられているそうで、冬のイルミネーションは最高にキレイです。LED照明のお陰で省電力でありながら、私達を酔わせてくれる景色をつくってくれるのは本当に有り難い事です。
ネットで御堂筋の由来を調べてみました。(Wikipedia 抜粋)
記録上、御堂筋の名が初めて現れるのは1615年(元和元年)、大坂夏の陣の落人狩りなどを記録した徳島藩の「大坂濫妨人落人改之帳」の中で、捕らえられた男女のうち、男1人の居場所として「大坂御堂筋」と記されているのが最初である。松尾芭蕉の没地は現在の大阪市中央区久太郎町4丁目付近で、御堂筋拡幅により現在は御堂筋の車線上にある。
江戸時代以来、土佐堀川に淀屋橋が架橋されるのみで、中之島と船場において「淀屋橋筋」と言われていた頃の道幅は6mほどだった。その後、大阪市助役から市長となった關一の都市計画により、1926年(大正15年)から地下鉄御堂筋線建設と合わせて総工費約3,380万円をかけて拡幅工事が行われ、翌年5月11日に完成し、ほぼ現在の姿となった[3]。堂島川に大江橋、長堀川に新橋、道頓堀川に道頓堀橋が架橋されたのはこの時である。また、この工事の影響で北御堂が移動し、南御堂とともに沿道に並ぶ形になったため「御堂筋」と名付けられた。本町から淀屋橋までの道の両側には彫刻が設置されている。なお、淀屋橋交差点以北は1908年(明治41年)に完成した梅田新道が母体となっている。
・・・こうして歴史をパッと知れるのは凄い事ですが、調べられる分、頭に残りにくくなっている事も現実です。実際に歩いてみて、歴史を感じながら勉強すると頭に残りやすくなるのですが、どんな事でも現場に出向いて経験する事が大切ですね。
昨日も色々な出会いがあり、また励ましのお言葉を頂戴し、有意義な一日でした。今日は第2回目となる「奥様カフェ」をパナソニック京橋ショールームにて開催させていただきます。7人の奥様と楽しく料理体験をしながら、新しい出会いを楽しませていただこうと考えております。
明日から私用で東京に行かせていただく関係上、仕事はお休みを頂戴し、ブログは来週月曜日から更新させていただきます。皆さま、良い週末をお過ごしくださいませ。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA


このページのTOPへ